何を書くか、何を書かないか。

70パーセントはフィクションだと思ってください。

「カフェに行きたい」

f:id:masa1751:20180912225942j:image

 

 

すっかり秋です。年がら年中このような気候だったらとても嬉しいのですが、かつてヴィヴァルディがクラシック音楽で表現した「四季」もやっぱり捨てがたいので200日くらいだといかがでしょう?

「カフェ」といえば私の中ではブラックコーヒー。でも最近はカフェオレやカフェラテが台頭してきていて、ブラックコーヒーを頼むことが少なくなってきている。カフェオレはブラックに比べて、店によって、より味が異なるので、その比較をしてみると楽しいです。コーヒーといえばブラックがやっぱり主流だけど、最近はあまり頑固なことも言わなくなり、他のものにも「積極的に」手を出すようにしている。けれど、ブラックを頼んでミルクや砂糖を入れるようなことはしない。微妙なここの塩梅が楽しむコツでありこだわりであり、わがままでもある。

たとえば。チェーンなんかだといきなりカウンターでパックのコーヒーを器に空けて、そこにドボドボとパックの牛乳なんかを入れるけど、あれがあまり好きではない。ちょっとした興ざめである。せめて背中を向けてやってほしい。それが純喫茶や個人経営のところだと「裏でこそこそ」作る感じがあって、出てくるときも「どんなものが来るかわからない」のがいい。

チェーンはチェーンでも、小豆色の「ヴェローチェ」は清潔感があっていい。店名はイタリア語で「速い」という意味らしいけど本当に出てくるのがはやい。他が遅いわけではないんだけど語源まで持ち出されると「そんな気がしてくる」のだ。

 

家の近くのカフェバーは真横に線路があるにもかかわらず、ドアを開けて中に入るととても静かで、ロック、ジャズ、クラシック、ファンク、Jポップ···挙げたらキリがない種々様々な歌が日替わりでじゃんじゃん流れており、いつも耳が侵されてしまう。そこで映画特集の「ポパイ」を読みながら飲むカフェラテは至高以外の何物でもない。

このカフェラテの上部2割には、しっかりとした濃密な泡がこしらえられていて、上品なバーのビールにも負けない。ビールの泡というと空気を逃さないためにできていることもあり、ツウなんかは空気をなくさないようにコップの内側に泡の輪を作りながらすすって飲むけれど、あれはツウやビール好きの腕の見せ所でもある。泡をなくさないように飲むことは案外難しくて、それこそ漫画などで表現される泡の「ひげ」は、泡をなくさないように飲もうとすれば必然的にできるものである。理にかなっているのだ。

さてカフェラテに話を戻そう。この店の泡はあまりにも厚いのでアイスであれば温まりにくく、ホットであれば冷えにくい。泡の効用というのは「温度を逃がさない」というところにあるのかもしれない、と思ってしまうほどである。500ml近くありそうな大きなカップで500円だから結構満足できる。

 

店主は30代半ばでたまにタバコを吸う。こないだ常連のお客さんとの会話ではしっかりと関西弁を話されておられた。でも普通の会話では標準語をしっかりと備えておられていて、どういう経緯で、ここで店を開いているのか、なんだか気になってしまう。店のあちこちに置いてある(というよりも積んであるという表現の方が正しい?)本のどれかを手にとっていて、普段かけているだろう眼鏡はこれまた本の上に置かれている。だいたい片手で本を持ち、スツールに足を組んで腰をかけ、目を細めている。カウンターの本の何冊かには「世田谷図書館」のシールが貼られている。ここから歩いて10分のところにある。

 

こんなことを書いているうちにどうしても飲みたくなって、マッキントッシュのノートを片手に走ってやってきてしまった。0時までやっているというのも嬉しい。東京という砂漠、ジャングルで生きる僕にとっての「オアシス」であり「あずまや」である。

件の店主が座っているものはスツールだと思っていたのですがビールケース×2の上にクッションでした。記憶って曖昧で怖いですね。ちなみに今日はジャズ寄り寄りのボサノヴァでした。

f:id:masa1751:20180912225947j:image

f:id:masa1751:20180912230003j:image