何を書くか、何を書かないか。

70パーセントはフィクションだと思ってください。

◎母親が子どもに「死にたい」と言うことについて

NHKの特番をみた。

 

★きのうは阪神・淡路大震災が起こった日らしい。「らしい」というのは、私自身が阪神・淡路大震災というできごとをよく知っていなくて、また日にちさえも何日と言い切ることが出来ない(1月というところまで覚えているのだが)。そもそも「阪神・淡路大震災っていつだっけ?」という会話がなされない。当時私は生まれて約4ヶ月。母親に抱きかかえられ、TVでその光景をみていた(という)。当然、覚えているわけがない。作られたイメージはすべて「TVの画面の中」のもの。インターネットではないのです。

 

★3.11は発生から今年で7年目。2011~12年に生まれた子どもは小学校の中学年になるくらい。ここにも同じような「流れ」がありそうだ(けっして一般化しようと思っているのではないんだけれども)。3.11は「語られる」のだろうか?

★昨晩はめずらしくじっくりとTVを見ていて、インターネットの情報だけでは「あれはやばかった」ということが伝わらないんじゃないか、と感じた。そして、TVや紙の媒体でこそ伝えられることがあるんじゃないか、と思った。

「遺児たちのいま」というタイトルのドキュメンタリー/スペシャル。震災によって親を亡くした「子ども」に焦点を当てている。一人の女性は震災の起こる前日まで、両親と川の字で寝ていた。9歳くらいだった。「そろそろ離れなきゃね」ということでベッドを買ってもらった。震災当日、両親ときょうだい(?)はたんすに潰されて亡くなった。彼女だけが助かった。

 

★場面は切り替わり、彼女の出産のシーンが映される。赤ちゃんは無事にうまれ、彼女は泣き叫ぶ。「パパとママに会いたい」、「パパとママのところに行きたい」と繰り返し泣き叫ぶ(番組中盤で分かることなのだが、これは確かに「死んでしまいたい」ということだったらしい)。第一子がうまれ、ふさぎ込んでいた思いがあふれ出た。その瞬間彼女は確かに「死にたい」と思った。娘は小学校に上がる頃、その思いを肌で感じ取るようになる。「気まずい」と思った。

企画かどうか知らないが、母親は娘にきちんと話す。母親はTVカメラの前で第一子をうんだ瞬間に、上記のようなことを言葉にしている。これはずっと残る。今回娘さんはじっくりとこの映像を見ただろう。

★このことについて(本当に「よい」とか「悪い」とかいうことではなくて)「これはいったいどういうことなのか」と考えている。今でもよく分かっていない。分かるはずがない。

 

(余談)

上記のような「分かるはずがない」が大事だと思った。たしかに演出や脚色などの編集はあるかもしれない。でもそれはそもそも「ある」ものだと分かっていれば、見ないに値しないわけではないと思う。ネットは確かに、情報量や伝達・展開速度がすごいが、TVにはTVなりに蓄積(それなりの)があると思う。

・この頃よく実感し、なるべく言葉にしようと心がけているのは「限りある資源(リソース)を有効に活用する」こと。TVや雑誌ならこれまで放送や発行したもの。今は、いつどこでそういう意識づけがなされたのか思い出せずむず痒くむず痒く・・・。これまで読んできたものを反復して読み、探しているところです。どこでも言われていることなんですけどね。このことについても書かないと、な。