何を書くか、何を書かないか。

70パーセントはフィクションだと思ってください。

インスタント・コーヒー

村上さんの作品には頻繁に「トランジスタラジオ」が出てくる。

 

読むたびに私は普通の「ラジオ」となにが違うのか気になっていた。だがその気がかりの正体は「ラジオ」という概念や想像するフォルムが定まっていないだけだった。そもそも「ラジオ」と聞くと正体不明、不定形の電波を思い浮かべる。あるいは流れている音、パーソナリティの声、流行のメロディ。誰もがラジオと聞いて「トランジスタラジオ」のような有形の箱物を思い浮かべるだろうか?車で聴けるAMやFM放送のチューニングを思い浮かべるものはいるかもしれない。

「それは、つまみのところさ。」と誰かは言った。

  

 

 

ところでその「トランジスタラジオ」なるものは見たことがあった。祖父母の家で。その黒い箱型のラジオは、私が生まれる前から使われているであろうが、去年の秋に訪れた時もそのラジオは健在だった。

 

正直にいうとそれは、あくまで「トランジスタラジオ」なるものであって、正真正銘の「トランジスタラジオ」である確証はどこにもない。基本的にカセットテープを入れるところと(今となっては携帯電話やテレビに見ることができなくなった)安っぽいシルバーのアンテナが付いていたからそうではないのか、と想像したに過ぎない。チャンネルの電波を拾うためにその都度、伸縮するアンテナは、私にとって、現時点におけるアナログとデジタルの中間点や過渡期を象徴している。

 

私は震災時、電気のつかなくなった部屋で、ぐるぐる巻いて音を拾うタイプの懐中電灯を握りしめていた。そこではウィーンウィーン、と古典的な「機械音」が鳴り響いた。テーブルの真ん中には両親の結婚式で使われた(?)大きなキャンドルの火のみが置いてあった。その暗いような明るいような部屋で「機械音」はむなしく響いた。ラジオから聞き取った「行方不明者」の中で、私はじっさい面識のある知人の名前を3人みつけ、震撼した。後日談だけれどもその3人は別々に3つの緊急避難所に潜り込んでいて、後で無事見つかった。私はホテルなどで「懐中電灯」を見るたびにその夜のことを思い出す。

 

あの夜、3月11日のよる8時頃は、街から信号の灯り消えた。 (もちろんその前の時間帯から信号はつかなくなっていた。) あの日家族との連絡が取れなくなった私は、友人と一緒に学校の「武道館」で夜を明かそうとしていた。貴重な電力を無駄に使わないように教員は心がけていた。じっさい私の母校は、一人の倫理教師主導の「防災に対する備え」によって、のちに県から表彰された。その倫理教師は陰で「かまじい」と呼ばれ、噂によるとかつて「学園紛争」で中心的な活動家であった。また、もう一つの噂によると、彼は幼稚園教諭から高校教諭まで教員資格持っていた。その風貌にふさわしくないと周りはよく言ったが、誰も逆らえなかった。

実質的に、彼主導の「備え」によって電力をインフラからの供給などに頼ることなく、自家発電(のようなこと)を行ったことで「武道館」に集まったわれわれはテレビで「津波」の進行を見ることができた。

 

これは今となってもよく言われることだが、あれだけの震度を感じた私たちであっても、事態があれほど深刻だと想像するものはほとんどいなかった。「電車が止まったらどうやって移動するか」くらいしか考えていなかった。(現に私は次の日の練習の会場までどうやって電車を使わずしてゆくかを考えていた)

 

私は友人と、画面の中にじっさいに存在しているであろう惨状を目の当たりにした。やがて、私たちの知る地域やその風景がみるみるうちに表情を変えていくことを認めなければならなかった。まさに開いた口が塞がらなかった。そうして8時を迎えた頃ある女性教員に名前を呼ばれた。寄ってみると母親が車で迎えに来ていた。すぐに荷物をまとめてその武道館を後にした。

 

灯りの消えた信号機を私は初めてみた。あれほど頼りなさげにバイパスにならぶ信号機を私は今でも忘れられない。

また、その信号機と対照的に、信号という実用的な整備装置をうしなった街を、こともなげに運転してみせる母親がかっこよく、頼もしかった。

 

「あぶなくない?」

「吹雪とかわらないよ」

 

母は若い頃、赤い新車で雪道を運転していた。吹雪の突風にあおられ母の赤い新車は横に何回転かスリップして田んぼに放り出された。私はその話を思い出した。

 

 

 

トランジスタラジオ」のことを考えながら、私はいつものように「インスタント・コーヒー」を使って、私のコーヒーを作ろうとした。余談だが、なんとなく上の二つは、ひびきが似ている気がする。

 

トランジスタラジオ」と「インスタントコーヒー」

「Transistor radio」と「Instant Coffee」。

 私だけだろうか?

 

 

 

私が大学四年間を送ってきたことを語る上で、コーヒーとの関係について語るのを欠かせない。暇とスペースがあれば、ビールとの関係についても語りたい。

 

 

よく覚えていないが村上さんはコーヒーの喩えを「まずいもの」として捉えることが多かった。だから私は、村上さんはコーヒーが嫌いなのではないか、としばしば思うこともあった。

 

これを機に、いろいろとネットの検索網にかけて見ると面白いサイトがみつかった。このなかでは「うまいもの」として形容されているようだが。

 
熱いコーヒーを飲んだ。生命を与えられたように香ばしいコーヒーだった。  
村上 春樹 / 1973年のピンボール 
お茶・紅茶・コーヒー・水の比喩表現の例文 一覧|食べ物:日本語表現インフォ より
 

 

上記のサイト以外にも、私は学校の附属図書館で『村上春樹 読める比喩事典』を借りた。

 

これはなかなか面白い。いくつかのコラムを挟みながら、どのようにして比喩が成り立っているのかについての考察を読むことができる。

著者の芳川氏は早稲田の教授であり、西脇氏は同大学の講師である。師弟関係だろうか。村上さんも早稲田の卒業であるから、関心が高まり、あるいは深まって、彼らがこういった仕事に着手するのは自然な成り行きだろう。

 

それにしても揺るぎない努力の結晶が見られるこの『比喩事典』は買っていい価値がある。

 

 

 

 

私はインスタント・コーヒーの粉末を冷凍庫にしまっている。そこでなるべく密閉し、飲むときだけ外に出す。なるべく外気に触れないように、ていねいにかつ手早くカップに粉末を出す。そして私はお湯を沸かす間、その粉末に数滴の水を垂らし、カップの底や壁で練る。粘りが出てくる。匂いが立ってくる。そうしたらもうお湯を入れてよい。

 

これは、もしかすると当たり前の作業かもしれないが、私にとって画期的な発見だった。そうしない「インスタント・コーヒー」との違いに驚かされる。タンブラーに移して外で持ち歩くときでも、一度はカップで濃度の高い原液を作る。わざわざ。

以前、どうにかして安くコーヒーを飲めまいか、と必死になった時期があった。「塩を入れると良い」とうたうサイトもあった。味は論外だった。いうまでもない。「香辛料」の方法にもだまされた。まったく価値のないキュレーションサイトに踊らされただけだった。

そのぶん、私のネットリテラシィは深まった。

 

だがそんな私は軽井沢へ行き、あろうことか一杯580円のコーヒーに有り金をはたいた。もちろん「もの」や「味」は良かったが、そこまでして飲むコーヒーに罪悪感をおぼえた。それはまた(皮肉なことに)コーヒーにふさわしく、とても苦々しい気分だった。

 

 

 

ドラマ「カルテット」の舞台、軽井沢で、彼ら出演者・スタッフと時間的・空間的にすれ違った件について、そのうち書こうと思います